目次
プロとアマチュアの差@(アーティスト全般編)
プロとアマチュアの差A(ボーカル編)
プロとアマチュアの差B(声優編)
クリエーターの心構え
演出と役者の関係
芝居と音楽の関係
『声優』の位置付け
ボイスサンプルの作り方
「制作」と「製作」の使い分け


プロとアマチュアの差@(アーティスト全般編) 

役者さんであったり歌手の方であったり、その他アーティスト全般において「プロ」と「アマチュア」の差とはなんだろう?

どんなプロであれ、特別な場合を除いて、大半がアマチュア時代を経験しているはずである。
アマチュアからプロへと変わるのに重要な要素。
極論を述べてしまうと「運」なのかもしれない。
どんなに才能があってもチャンスに恵まれなければプロにはなれない。
逆を言うと、才能が足りなくても「運」を掴んでプロになる場合もある。
その場合、継続していくのが難しかったりする。

よく言われる言葉、
「デビューは『運』 継続は『実力』」

まったくその通りだと私は思う。
では「運」や「実力」を高めるのに一番重要な要素はなんだろう?

それは「向上心」だと私は思う。
自分の夢に対しどこまで本気になれるか?
そしてステップアップする為にどう行動するか?
待っているだけの受身姿勢ではチャンスはなかなか巡って来ない。
例えチャンスが訪れてもそのチャンスに甘んじるだけではモノにする事は出来ない。

私が一番よくないと思う姿勢は『惰性』である。
「昔から○○を目指していたし、他にする事もないから・・・」
そんな姿勢で適当に訓練だけをし続け、受身姿勢でチャンスを待つこと。

アーティストだけでなくこれはすべてに対し言えることだが、
「『向上心』がなくなればその道はおしまい」

向上心と言っても決して無謀になれとは言わない。
今の自分に出来る範囲で常にチャレンジ精神を持つ事が必要だと思う。

プロとアマチュアの差A(ボーカル編) 

さて、「プロとアマチュアの差」の第2回目のコラム、ボーカル編です。

皆さんはカラオケには行くだろうか?
仲間同士でカラオケに行って、「この人歌上手いなぁ〜」って思った事もあると思う。
世の中にはプロの歌手以外にも歌の上手い人はたくさんいるだろう。
では、そのプロとアマチュア(歌の上手い人)の差とは何なのか?

そもそも歌の「上手い」「下手」は何によって決定されるのだろうか?

・音程が合っている
・リズムが合っている
・声量がある

最低限この3つの基準を満たしていれば、一般的には歌が上手い部類に入ると思う。
問題はここから先のお話。

昔、私は歌にそれなりの自信を持っていていた。
ある日、私はとあるインディーズバンドのボーカルの方とカラオケに行く機会があったのだが、そこでその自信は見事崩される事となる。
ボーカルの方が私の歌を聴いてこう言った。

「上手いけど、教科書通りだね」

悔しかったけどその通り(--;)
つまり、私は上記の3つの条件を満たしているに過ぎなかったわけだ。
では、そこから抜け出し次のステップアップに繋げるには何を意識すればよいのか。

・感情をのせる
・パワー(魂や情熱)を込める
・抑揚をつける

つまりは表現力をつけるということ。
「歌に命を与える」そんな感じのイメージだと思う。
ボーカルのトレーニングの中には表現力をつけるために芝居(演技)の練習を取り入れる場合もあるそうだ。(全員がそうじゃないと思うが)
表現力をつければ歌にかなり違った印象を与える事が出来るだろう。

これが、「素人」から「アマチュア」にランクアップする最低条件だと私は思う。(「アマチュア」の意味は「素人」だが、ここではあくまで「プロを目指す人」としての意味とする)

さて、大抵のアマチュア歌手がここで壁にぶち当たる事になる。
ここから先のプロとアマチュアの差は何なのか。(前回の「運」や「向上心」の話はナシにして技術面での話)
言葉で言うのは簡単だが、それは・・・

「感情をのせる」「パワー(魂や情熱)を込める」の『のせる』や『込める』を『伝える』に変えること。

対象を「自分自身」ではなく「相手」に変えるだけ。
しかし多くの人が気付かぬうちに「自己陶酔」や「自己満足」の罠にハマってる場合が多いと思われる。
この罠から抜け出す事がプロへの第一歩なのではないかと私は思う。


はい、ここまではちょっとメンタル的なお話も含まれていました。
今度は焦点を変えて、私が実際にプロとアマチュアを現場で見て感じた『声』の技術の話をしようと思います。


私が感じたボーカルの技術面での差は「声の安定感」。
しかし、ロングトーンを「綺麗に出せるか?」「ボリュームを持たせられるか?」という事ではない。
私が着眼したのは「声の出始め」。
銃器のマシンガンに例えると「初弾からターゲットに当てられるか?」という事である。
マシンガンは初弾を外しても軌道(着弾地点)から修正は可能だろう。
声も同様で、修正は可能ですが、出だしでトチれば歌としてはマイナス要因となる。
アマチュアのライブなどを聴いていると歌い出しで思いっきり外す事はあまりないが、微妙なズレや擦れなどを感じる事がある。

音程を外すというより「音」自体が綺麗に出せていない感じ。

曲によっては「高音からいきなり低音へ」「低音からいきなり高音へ」というパターンもある。
音の世界でもいきなりターゲットが変更された時に初弾命中させるのは難しい。
私がアマチュアの方の歌を聴いて思ったのが、その初弾を捕られられない(曖昧にしてしまう)人がかなり多い事。
外してもすぐに修正し、その後の歌唱力で上手くごまかす事は出来るが、厳しく評価すると出だしですでにNG。

声というのは一つの「楽器」である。
吹奏楽を経験した事がある人はわかると思う。
「トランペット」「トロンボーン」「サックス」などは、音さえ出てしまえば安定させる事は楽なのだが、やはり難しいのは出だしである。
出だしを綺麗に出す事が、この様な楽器の第一課題。
つまり「声」も同様。
まずは声を「楽器」と考え、安定した「音」を一発で綺麗に出す訓練が必要だと思う。
多くの人が「歌」の訓練ばかりに気をとられ、基本的な「音」を出す訓練を怠ってはいないだろうか・・・??

プロとアマチュアの差B(声優編) 

さてさて、「プロとアマチュアの差」のコラム、今回は第3弾として「声優編」をお届けいたします。


まず最初に何故「役者編」とせずに「声優編」と限定したのか?と言う事をお話しておこう。
世の中では「役者と声優は別モノなのか?声優は役者の中の1ジャンルではないのか?」という論議が存在する。
それに対する私の意見は今後別のコラムで語る事にするが、今回は声優限定で話しを進める。
それは「録音」を意識した話(マイクワーク等を含む)もするから。
それと私自身が過去に洋画の吹き替えの制作に関わり、声優を扱う現場を見てきたこと、そして現在音響として沢山のアマチュア声優との繋がりを持っているからである。

さて、ここからが本題。
私はアマチュア声優(声優志望者)の方に良くこういう質問をする。

「マイクを通した自分の声ってどう思う?」

大抵の人はこの様に答える。

「自分の声って変。あまり好きではない」

これはある意味当然な反応。
自分が普段しゃべっている時の声は、音が身体の中でも共鳴している為、他人から聴こえる声とは違う。
自分の声とは「一番身近な音」であると同時に「一番聴き慣れていない音」なのだ。
だからマイクを通した自分の声が普段聞きなれている自分の声と違い、違和感を覚えて「変」と感じるのは当然の事。
そしてそれが原因で『自分の声に自信を持てない人』がアマチュアに多い。
中には「自分の声が嫌い」ときっぱりと言ってしまう人もいる。
自分の声というのは声優にとって最大の商品である。
そういう人は「自分が嫌いな商品をあなたは他人に売りつけようとしているのですか?」という話になってしまう。
まずは「自分の本当の声」を好きになる事が声優になる為の第一歩だと私は思う。


演技訓練以前の「発声練習」
これは声優だけではなく役者全体が日々精進しなければいけないところ。
声量にしろ滑舌にしろ「声」は使わなければどんどん落ちる。
この訓練を怠るようでは「アマチュア声優」を名乗ることすら許されない。
プロの収録現場などで滑舌や発声法などの指摘をディレクターからダメ出しされて、それがその場で直せなかった場合、声優の道は断たれると思ってもいいだろう。
そうならない為にも日々の訓練は必要不可欠となる。

だが、日々の訓練だけでは補えない部分もある。
それは「現場経験」である。
実際問題、これが声優におけるプロとアマチュアの最大の差だと思われる。
どんなに発声や演技訓練を積んでもいざ現場に立った時、どこまで立ち回れるか?
これは「経験」以外に訓練のしようがない。

「目の前にマイクがあるという圧迫感」
「プロと一緒に仕事をする緊張感」
「自分のマイクポジションの確保」
「現場でのマナー」
などなど・・・。

極論を言ってしまうと「現場で慣れろ!」という話になってしまうが、それでは投げやりなコラムになってしまうので、私なりのアドバイスを載せておく事にする。

【目の前にマイクがあるという圧迫感】
練習用にマイクを買っている人は別だが、普段、個人的に練習をしているだけではマイクを使う機会はあまりないだろう。
マイク慣れしていない人がマイク前に立つと、その圧迫感から声量が落ちる事がある。
普通に目前に障害物があれば意識的に声が出しにくくなるのも当然。
また、「目の前に『耳』があれば小声でも聴こえる。大声を出したら迷惑」みたいな気持ちが無意識のうちに働いてしまう事もあるだろう。
まずはそれに慣れる事。
「自分」と「マイク」の距離感を意識するのではなく、アフレコで言えば映像上にある「自分のキャラクター」と「話し相手のキャラクター」の距離感を意識するべきなのである。

ちなみに「マイク」に関する話は今後別のコラムで語ろうと思う。

【プロと一緒に仕事をする緊張感】
程よい緊張感は大事だが、緊張しすぎるのも困りモノ。
「下手だって思われたらどうしよう」「足を引っ張ったらどうしよう」みたいにあまりマイナス思考になり過ぎないように注意しましょう。
中には優しい先輩がいて緊張をほぐそうと声をかけてくれることもあるだろう。
でもここで無理に背伸びをして偉そうな事を口走らないように注意(笑)

【自分のマイクポジションの確保】
現場では役者一人ずつに一本のマイクが用意されるわけではない。
限られた本数のマイクをうまく皆で使っていかなければならない。
これは初心者が現場で一番あたふたしてしまうトコロだろう。
シーンを考えてどこのマイクが空くのかを計算し、自分のポジションを確保する。
自分の出番が終わったら速やかにマイクをあとの出演者に譲るのも大事。

マイクは高さもわざとバラバラにしてあり、自分の身長に合ったマイクをメインとして確保するのが基本。
あとはシーンに応じて臨機応変にという感じ。
ただ注意が二つ。
一つは、リハーサルと本番で違うマイクを取らないこと。
これは、リハが役者だけでなく、音響のレベル合わせも兼ねている為。
もし本番でリハと違うマイクを使うならばあらかじめその旨を伝えなければならない。
二つ目、勝手にマイクスタンドの高さを変えないこと。
スタジオの機材等は極力触らないようにこころがける。

【現場でのマナー】
声優に限らず役者はコミュニケーションの上に成り立っているもの。
譲り合いや助け合いなど、良い関係で楽しく収録したいもの。
皆のテンションを下げる行為、生意気だと思われる行為は好ましくない。
ディレクターの指示を否定するのもよっぽどの事がない限りNG。
役者側も制作側も皆、思っているだろう。
「楽しく仕事がしたい。良い関係の持てる人と一緒に仕事がしたい」と。

特に挨拶は基本中の基本です。
・・・って、言わなくてもわかってますよね?(^^;)

間違った場合もちゃんと謝る事が大事。
ただ、注意しないといけないのは、本番中に謝ってしまうのはよくない。
台詞を間違えてもニュアンスが合っていればOKになる事もある。
また、誤って音を立ててしまってもマイクにのっていなかったり、修正可能な場合もある。
つまり、NGかどうかはディレクターが判断する事で、役者が勝手に止めてしまってはいけないのだ。
本番中に「ごねんなさい」などと言ってしまったら、「そんな台詞はないぞ!」と逆に怒られてしまう事もある。

クリエーターの心構え 

芝居に限らず、世の中には沢山のクリエーターやアーティストがいる。
そして多くの作品がこの世に生まれ続けている。

その無限とも思われる「作品」の中で、すべての人が認め愛する作品がいくつあるだろう?

おそらく、その極論を述べてしまうと答えは「ひとつもない」だろう。

十人十色、千差万別という言葉があるように人の考えや嗜好も無限大。
ある作品に対し、大絶賛するものもいれば大否定するものもいるだろう。

「アート」の世界とはある意味「多数決」の世界とも言えるかもしれない。
しかし、もちろん多数派の意見が正解というわけではない。
アーティストの「色」を消し去ってしまってまで、多数派を求めてもそれは本当に良い作品なのだろうか?

アーティストの色を重視し、例え少数派でも「ついてこれる人だけついて来い!」というアングラ的思想も一つの表現法。
例えそれが自分にとって生理的に受けつけないものであっても、それぞれの哲学から作られる作品に誰が否定などできようものか・・・。

ただし、アートとは人(客)に見て貰って初めて成り立つモノ。
「皆に楽しんでもらいたい」
そういう心構えで望むのならば多数派意見も捨て置けない。
クリエーターは常に「自分の色」と「多数派」のさじ加減を意識しないといけないのだと私は思う。

私も芝居に関わる人間として、アンケートなどでお客さんから沢山の意見(感想)を聞いてきた。
多種多様なそれぞれの哲学から算出された意見は総合すると時として矛盾が生じる。
簡単な例を挙げてみよう。
同じ映画なのに、お客さんによってストーリーが「解りやすい」という意見と「解りづらい」という意見がでたりする。
『謎』をテーマにした作品などでは、その謎についてどこまで説明するかと言う事。
「すべてを明らかにした一本筋の作品」と「謎を残し、お客に考える余地を与える作品」ではどちらが良いのか?
それはお客の好みによっても分かれるし、お客が自分で考え真相にたどり着ける事ができるかという「観る側のスキル」にも左右される。
結局、すべての人を考慮した作品など作る事はできないのだ。

だからといってクリエーターはお客の意見(感想)を無視し、独走してもいけない。
クリエーターに必要なのはまずはその意見を聞き「受け入れる事」が必要なのだ。
すべてを受け入れ理解し、多数派意見を割り出した後、自分の哲学を考慮し最終決断をする。
「自分の考えはこうだから」と言って相手の意見を最初から無視してはいけない。

これはアートジャンルを問わず、すべてのクリエーターやアーティストに言える事ではないだろうか?
 
演出と役者の関係 

舞台演劇には必ず演出がいる。
「演出」とは物事を表現するときにそれを効果的に見せる事。またはその役割を担当する者。
私も自分の劇団で演出を担当しているがこの「演出」にもいろいろな方法が存在する。
芝居を生かすも殺すも演出家次第。
演出とは言わば哲学のようなモノで正しいとか間違っていると言う話ではないかもしれないが、それでも演出の良し悪しという話は当然生まれてくる。
今回はその演出について私なりの考えを語ろうと思う。

まず最初に私が最も嫌う演出方法は役者を駒扱いする事。
つまり役者の演技一つ一つを指示し、演出でガチガチに固めてしまう事。
これは脚本を兼任している演出家によくあるパターンで、自分の描いたビジョン通りに演じないとそれ以外はすべてNGと言い切ってしまうタイプ。
これは役者のスキル(演技力)にもよるが、基本的には役者の自由度を奪ってしまい芝居の可能性や役者の個性を潰す行為だと思う。
この演出法は上手くいけば完成度も高く安心して観れる芝居を作る事が出来るかもしれない。したがって決して間違いというわけではない。
しかし、ほぼすべての演技を演出で固めるという事は「誰が演じても同じ芝居になる」という事。
芝居は生モノ。役者が変われば芝居も変わる。
これが芝居の面白さの一つだと思う。
演出に必要なのは役者の個性を引き出す事だと思う。

さて、それに対し役者側のお話も一つ。
先ほどの演出法はあくまで役者がそれなりのスキル(演技力)をもっていればこその話となる。
スキルが足りていなければ演出で固めざるをおえない。
必要以上に細かく演出を付けられる場合、「演出家の暴走」か「役者のスキル不足」のどちらかである。
過剰演出を受けた場合、役者はまず「自分のスキルが足りているか」ということから疑いをかけて貰いたい。演出を疑うのは二の次である。
その為に、役者には普段の稽古からベストを尽くす心構えが必要。
受身ではなく、演出に指示されなくても率先して動く自由度のある役者を目指して欲しい。
私は演出でよくこういう言い方をする。
「やりすぎ!と言われるくらい表現してみて。本当にやり過ぎだったらその時は演出で止めるから・・・」と。

演出とは、役者が暴走した時に抑制&軌道修正する役割。

これが演出のすべてとは言わないが、かなり重要な位置にあると思っている。

さて、次に「ダメ出し」について。
「ダメ出し」とは演技に対し訂正や修正の指示を出す事。
私はこの「ダメ出し」と言う言葉は好きではない。
この言葉は「ダメ」というフレーズが入っている為、否定的な意味合いが強い言葉だと思う。
しかし「ダメ出し」とは必ずしもNG(No Good)とイコールではない。
確かにダメ出しの中にはNGもある。しかし芝居をより良くする為の「提案」という意味もあると私は思う。
一生懸命考えた演技にダメ出しをされて演出に対し嫌悪感を抱く役者もいるだろう。
この否定的な「ダメ出し」と言う言葉が『演出家が嫌われ役』と言われる由縁なのではないだろうか?
もう少し柔らかい言い方はないものかなぁ〜と思ってみたりする。
演劇界では一般的な言葉なので私も「ダメ出し」という言い方をしているが、同時に役者達に「ダメ出しは必ずしもNGという意味ではないよ」と補足説明をしている。

演出と役者は立場が違えど同じアーティスト、そして一つのものを作り上げる仲間である。
だから演出も役者の気持ちを理解し、役者も演出の意図を理解し、お互いに信頼し合い、気持ちよく仕事をしたいものだ。
もちろんお遊びサークルのように馴れ合いだけではいけない。
厳しさも必要だが、同志という事も忘れてはならない。

私は演出もするが、役者として舞台にも立つ事もある。
昔、私はとあるディレクターのアシスタントをしていた事があるのだが、当時私はディレクターにこんな事を言われた。
「ディレクター(演出家)になりたかったら役者はやるな」と。
演出家は自分の事を棚に上げて偉そうな事を並べ立てる役割。もし、演出家が役者ならば「じゃあ、お前は出来るのかよ?」と思われて舐められるだけだ。・・・と言う事らしい。
まぁ、正論である。
でも私はそれに対し、異を唱えている。
役者も経験しているからこそ役者の気持ちの解る演出が出来るのだ、と・・・。
だから私は演出もするし、役者として舞台にも立つ。脚本も書くし、音響としてスタッフ参加もする。芝居に関わるすべての人たちの立場や気持ちを理解し、お互いに気持ちの良い舞台作りを目指す。
それが私のポリシー。

芝居と音楽の関係 

芝居の中の音楽(BGM)は一つのアクセントに過ぎない。
音楽がなくても芝居は成立する。
しかし今日の演劇や映画で音楽を一切使わない作品に出会うことはまずない。
それだけ芝居において音楽は必要不可欠な存在になっているわけだ。
そんな芝居と音楽の関係について今回は考えてみる。

芝居を料理に例えると音楽は調味料の一つ。
使い方や選び方次第で良くもなるし悪くもなる。
演技と音楽が上手くマッチすれば最高の芝居になる。
逆もまたしかり。
それは「作品のイメージに合った音楽」が必ずしも「芝居に合った音楽」ではないという事。
得たいシーンのイメージをそのまま『音楽』に求めてしまってはいけない。
調味料が食材よりも前に出てしまってはいけないからだ。
同じ脚本でも役者の個性や演技によって芝居は無限大。
つまり音楽の選曲や使い方も無限大なわけである。
だから作品イメージだけで選曲するのは本当は良くない事なのかもしれない。

だが、例え芝居と音楽が合っていなくても作品の方向性が合っていれば良い芝居に見えてしまう事も事実。
私は何度か演出家さんからこんな発言を耳にしたことがある。
「役者の演技だけでは厳しいからここは音楽でごまかそう」
これは役者の技量によるお話。
音楽に役者の演技が喰われる状態は決して良い芝居とは言えない。
しかし演出家としては役者の演技力が低かった場合、最終手段として音楽で繋げるという方法をよくとるのだ。
「まずい料理を味付けでごまかす」そんな感じなのだろう・・・。
私はこういう考え方自体余り好きではないが、実際音響としてこのような注文をされた事が何度かある。
また、これは逆のパターンだが、役者の演技が素晴らしかった場合、音楽が余計な存在になる場合もある。

芝居と音楽の関係は実に奥深い。
シーンに音楽を挿入する事で演者や作品にどのように作用するのかは演者本人や演出、または選曲に左右される。
正解不正解という概念はもしかしたらないのかもしれない。
あるとすればそれはお客さんの反応である・・・。
制作にとってこの相互関係の追及は永遠のテーマなのかもしれない。
 
『声優』の位置付け

声優を目指す者の中には舞台や映像には出ずに声優一筋と考える人がいる。
それが、自分の志をしっかり持っての考えならば問題はない。
しかし、中にはつまらない理由で声優のみと考えている人がいるのも事実。
「アニメが好きだから」「ビジュアルに自信がないから」
これらの理由は決して前向きではないが、まだ可愛い方。
致命的なのは・・・
「声だけなら動きもないし自分でもなんとかなるだろう」
と考えている人。
役者と比べて声優なら声のみに集中していればOK。
舞台と違いリアルタイムではないので、もし間違えても録り直しが可能。
だから役者よりも声優の方が簡単!・・・と勝手に声優というジャンルの位置付けをしてはいないだろうか?
もしこのような安易な考えを持っている人がいたら今すぐその考えは捨てる事をお勧めする。

そこで今回は『声優』というものの位置付けについてのお話です。

[今回の議題]
『声優』と『役者』は別モノか?

芝居という観点で考えればおのずと答えは出てくる。
答えは「NO」
「声優は役者の中の1ジャンルである」
これが一般的に論じられている解答である。
「声のみだから声優は簡単」ではなく「声のみだからこそ声優は難しい」
そう考えて欲しい。
舞台(映像)における芝居では身体表現や表情などが感情表現を行なう補助的な役割を示す。
それに対し声優はすべての感情を音声のみで表現しなければならない。
それは『動き』『距離感』『空間』『目線』など、人間の五感を含めた芝居におけるすべてを熟知していなければうわべだけの表現になる。
役者として総合的な芝居のできない者に声優は務まらない。
今では『声優』というジャンルが確立してしまったような感はあるが、もともと吹替えは役者の副職的な位置付けにあった。
これが本来の『声優』の正しい位置付けではないかと思う。

ここまでのお話は私が声優を目指す人に何度となく語った話ではある。
しかし「声優と役者は別モノか?」という問いに対する私の解答は「NO」でもあり「YES」でもあるのだ。
ここから先は私が吹替えの制作現場で仕事をして感じた事、そして音響屋として音声を扱う仕事をして感じた事を踏まえた声優技術のお話。
皆さんはプロの役者が声優に挑戦しているのを観て「役にしっくりこない」「演技がぎこちない」と感じた事はないだろうか?
要因の一つとしては技術面の差である。
マイクワークであったり口パク(タイムコード)に合わせた時間制限であったり、映像や台本を観ながらの演技であったりと声優特有の環境は舞台芝居とは別の世界。
役者だからといって声優の仕事が難なくこなせるとは限らない。
別の要因として音声表現の違いもある。
音声表現における舞台上でのリアルとアニメ上のリアルは別モノ。
説明は難しいが、しいて言うのならば「アニメ声」というヤツである。
この場合「アニメ声」というのはアニメの女の子キャラが発する甲高い声という意味だけではない。
息芝居などを含む音声表現法全般のお話。
舞台での発声や音声表現法が吹替えで通用するとは限らないのである。
これは「声優から舞台へ」みたいな逆もまたしかり。
そういう技術面で考えてみれば声優は全く違う別ジャンルという考えも出来てしまうのだ。

さて、ここまではあくまで一般論を踏まえ、芝居論や技術という観点から見た話。
実はこの先の話はあまり触れたくない。
言ってしまえばビジネス面でのお話である。
これは『声優』というジャンルが確立されてしまった大きな要因だろう。
ビジネス的に声優を「商品」と定義するならば、声優に求められるのは演技以前にビジュアル面が重要視される事がある。
「声優=アニメのお仕事」と言われるように声優とアニメは今や切り離せられない関係にある。
アニメというものを好む客層から考えるとこれは必然。
今の業界では「声優=アイドル」的な公式が見え隠れしている。
すべての業界がそうとは言わないが、ビジネス戦略(特にアニメ業界)では作品クオリティーよりも「いかに儲けるか?」に重点が置かれる事が多いだろう。
汚い話ではあるが、これが現実。
あまり触れたくない話ではあるが声優を目指す人にはその事を知った上での覚悟が必要だと思う。

最後は少々ドロドロした話になってしまったが、そろそろまとめに入る。
声優とは芝居という観点で考えれば役者の中の1つのジャンルに属するが、表現法や技術においては異なる部分もある。
ただ、アイドル的思考ではなく、あくまで表現者としての声優を目指すのであれば「声優」というジャンルに固執してはならない。
芝居とは「嘘」であるが嘘の中にもそれぞれのリアルがある。
その「リアル」を追求する為にも身体表現を含めた「演技」そのものの訓練をすべきである。
舞台(または映像)での芝居も経験した上で最終的に「声優」に行き着いたのならばその道一筋で頑張るべき。
しかし、何も経験せずに声優一筋と決めつけてしまうのは表現者として楽観的ではないだろうかと私は思う。
 
ボイスサンプルの作り方 

声優やボーカルのオーディション等でボイスサンプルを要求される事がよくある。
過去に何人かにボイスサンプルの作り方等の問い合わせを受けた事がある為、このコラムでも簡単に紹介しておこうと思う。

まず、ボイスサンプル(デモテープ)は最初から最後まで聴かれる事はまずない。
CDやMDによる提出だとしたら1トラック目が勝負と言っていいだろう。

台詞によるボイスサンプルの場合、気をつけなければいけないことは、

「声を作らない事」

特定のキャラクターに絞ったオーディションであれば別だが、声優としての幅広い募集をしている場合、まず最初に製作側が知りたいのはその役者の「素の演技」である。
下手に飾らない(作らない)自分の「原音」で勝負するべき。

台詞自体も長過ぎず15秒〜30秒くらいで、演技としてもなるべく明るい感じの芝居にしたほうがよい。
「クール」「暗い」「ネガティブ」などのマイナス面の多い役どころは演技としては楽な部類。
このような路線のみでサンプルを作ってしまうと、下手をすると「こういう演技しか出来ないのか」と思われる可能性もアリ。

やってはいけないことが、音響にこだわる事。
台詞にBGMや効果音をつけて格好よく見せても趣旨が変わってしまう。
引かれるのがオチ(笑)
声自体を認識する為にレコーディング自体には少しクオリティがあったほうがいいが、これもそこまでこだわる必要はない。

歌に関しても同様で、基本条件は声を作らない事。
そして歌は声量(ボリューム)がないといけないので、思いっきり声を出せない場所では録音せずに、カラオケボックス等を利用した方が吉。
カラオケで歌を録音する場合、元の曲の原音で歌う必要はない。
無理して高い声や低い声を出さず、自分に合った音域(キー)で勝負した方がよい。

あと積極性(やる気)を見せるという点で、締め切りギリギリに送るのは避けたほうがいいだろう。

録音媒体は大概指定されているので応募要項には注意。
CDやMDが主流だが、中にはmp3などのデータでネット送信の場合もある。
カセットテープは今時主流ではないので注意。
レコーディングにはほんの少し知識が必要で、また録音機材を持っていない人もいるだろう。
そんな人の為に手軽に録音できるのがカラオケボックス。
最近のカラオケボックスでは、中にはMD録音できる所もあったりする。
無線マイクのノイズや部屋の反響などによりクオリティは保証はできないが、サンプルとしては充分なレベルと言えるかもしれない。
カラオケボックスでの録音に関する注意点は、エコー機能をOFFにし、スピーカーのボリュームもゼロに。そして無線マイクは使用するまで充分に充電した方がよい。
また、部屋の反響を少なくする為と言って部屋のドアを開けっ放しにするのはやめましょう。迷惑だし、何より恥ずかしいでしょ?(笑)

ボイスサンプル収録はRT-Soundsでも承っております。
安心のクオリティで収録いたします。
またCD、MD、各データ形式に対応。(量産も可)
詳しくはお仕事依頼にて。

「制作」と「製作」の使い分け 

このコラムは、ブログに載せたところ大反響で、このコラムだけでも私のブログはかなりのアクセス数を現在でも稼いでいる。それだけ疑問に思っている人が多いということだろう。

日本語って難しい。
最近そう思ったのは、舞台や映像など芝居関係の製作(制作)に関わるようになって、一つの疑問が浮かんだからだ。

「せいさく」には二種類の漢字がある。
「制作」と「製作」
これってどう違うのだろう・・・?

オンラインの三省堂辞書で調べてみた。

制作:(芸術)作品を作ること
製作:物品を作ること


ふむふむ。
もう一つ私の持っている「日本語使い分け字典」で調べてみる。

制作:芸術作品(絵画、工芸品、展覧会の出品作品など)
製作:実用的で量産できるもの(精密機械、器具など)


なるほど。
とゆ〜ことは、舞台や映画は芸術作品であるので「制作」と表記するのが正しいのかな?

しかし、それでは納得のいかないことがある。
映画のDVDやビデオのパッケージをいろいろみてみると「製作」の文字が多いのだ。
映画は芸術ではないのだろうか?

実はこの「日本語使い分け字典」には続きが書いてあった。

「映画、レコード、演劇、放送、テレビ、ドキュメンタリー番組などは内容により使い分ける」

そして例が一つ載っている。

芸術映画の「制作」
娯楽映画の「製作」

はい。だんだん雲行きが怪しくなってきました・・・。
そもそも芸術映画と娯楽映画の境界って何?って話になる。
それにこのたった一つの例だけでどう理解しろと??(--;)

このままでは埒があかないので今度は業界関係に重点を絞って「制作」と「製作」の違いを調べてみる事にする。

制作:作品を作る為の実作業
製作:作品の企画、資金調達、出資、制作、宣伝、興行全般


つまり、作品そのものを作る人を「制作」といい、その作品に関わる(協力者を含む)すべての人を「製作」と表記する。
「製作」の中に「制作」があるという関係。
会社単位になると「制作」よりも「製作」の方が立場が上。

「トイ・ストーリー」や「モンスターズ・インク」などの3DCGアニメを例にあげてみる。
これらの作品は「ディズニー映画」と勘違いしている人も多いようだが、表記するとこうなる。

制作:ピクサー(作品制作の実作業)
製作:ディズニー(出資、配給協力)


この場合ディズニーは作品を作ってはいない。だから正確には「ピクサー映画(アニメ)」が正解となる。
でも偉いのはディズニーって事(笑)

口で話すと両方とも「せいさく」。
だからこういう業界で「せいさく」の話をするとややこしくなるので使い分けがあるらしい。
「制」と「製」は漢字で表すと足に「衣」があるかないかの違い。
だから話をする時は「衣有り製作」「衣無し制作」と口にするようだ。(映像業界すべての共通語じゃぁないみたいだが^^;)

この違いを知っておくと映画やTV番組のエンドロールなどで、製作(制作)会社の関係が解ったりして、面白いかも。
 
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